大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

水戸地方裁判所 昭和35年(タ)17号 判決

原告 李はるの

被告 岩川三郎こと李鐘沢

主文

原告と被告とを離婚する。

原告と被告との次男李立雨(昭和二三年一月二〇日生)および三男李広(昭和二八年五月二五日生)の親権者を原告と定める。

訴訟費用は被告の負担とする。

事実

原告は、主文と同旨の判決を求め、請求原因として、

(一)  原告は、もと井上の姓を称する日本人であつたが、昭和二〇年四月二七日頃訴外金子種吉の媒酌により被告と事実上の婚姻をなし、その後一週間位して正式に婚姻の届出をなした。

そして、被告との間に長男一三(昭和二一年七月二五日生)、次男立雨(昭和二三年一月二〇日生)および三男広(昭和二八年五月二五日生)を儲けた。

(二)  原被告は、婚姻当初は原告の原籍地である茨城県那珂郡那珂町大字西木ノ倉(当時五台村)にて同棲したが、被告は性来身持ちが悪く昭和二八年頃からは情婦とともに右住居地を出奔し水戸市にて飲食店を営むようになつた。

そして当時原告は三児(うち三男広は懐胎中)を抱えて生活に苦労していたけれども、原告は生活費も満足に支送りしない有様であり、原告らの窮状を顧みようともしなかつた。そこで原告はかかる状態では被告と離婚したうえ、原告自ら働いて三児を養育するほかはないと考え、昭和二八年三月一〇日頃被告に離婚を申出たところ、既に原告らに対し愛情を失つていた被告はこれに同意するに至りその旨の文書も取りかわし、併せて離婚後の三児の養育は原告がすることに協議が成立した。ところが、その直後被告は右協議離婚の届出もしないうちに永戸市内からも姿を消し所在不明となり、爾来今日まで原告に何らの音信を寄せず、被告の消息は不明である。

(三)  原告は被告と別離以来あるいは野菜の行商を、あるいは古物の買出し等の仕事をして生活の辛酸に堪え、その間昭和三四年八月一五日長男一三が溺死する悲しみに遭つたが、今日まで次男立雨および三男広を養育して来た。

(四)  以上のとおりであるから、被告との離婚ならびに次男立雨および三男広に対する親権者指定の裁判を求めるため本訴に及んだ。と述べ、立証として、甲第一ないし第四号証を提出し、証人金子種吉、後藤剛男および小原泰寿の尋問を求めた。

被告は公示送達による適式な呼出を受けながら本件口頭弁論期日に出頭しないし、答弁書その他の準備書面をも提出しない。

当裁判所は職権をもつて原告本人の尋問をした。

理由

公文書であるから真正に成立したと認める甲第一ないし第三号証(登録済証明書)、弁論の全趣旨により真正に成立したと認める甲第四号証(別れ状と題する書面)の各記載に、証人金子種吉、同後藤剛男、同小原泰寿の各証言ならびに原告本人尋問の結果を綜合すると、原告主張の請求原因(一)ないし(三)の事実を認めるに十分である。

しかして、法例第一六条によれば本件離婚の準拠法は夫の本国法である大韓民国民法であるが、同国民法(一九五八年二月二二日公布、一九六〇年一月一日施行)第八四〇条第五号には「配偶者の生死が三年以上明らかでないとき」を裁判上の離婚原因として掲げ、なお同法附則第一九条第一項によると、「本法施行日前の婚姻に、本法により離婚の原因たる事由のあるときは、本法の規定により裁判上の離婚の請求をすることができる。」と規定(なお同条第二項には、「本法施行日前の婚姻に、旧法により離婚の原因たる事由がある場合にも、本法の規定により離婚の原因にならないときは、本法施行日後には、裁判上の離婚の請求をすることができない。」旨規定されている。)されているから、前示事実は同国民法第八四〇条第五号に該当し、裁判上離婚を請求できる場合であることは明らかであり、かつ我が国民法第七七〇条第一項第三号に規定するところに照らしても離婚原因たることは明らかである。

そうすると、本件離婚の請求は理由がある。

次に、父母が離婚した場合に何人が未成年の子の親権者たるべきか、すなわち親権の帰属、分配の問題は、離婚に附随し離婚の効果として発生する法律関係であるから、離婚の準拠法によるべきである。ところで、大韓民国民法第九〇九条には「未成年者である子は、その家にある父の親権に服従し、父がいないかその他親権を行使することができないときは、その家にある母が親権を行使する。父母が離婚するか、父の死亡後母が親家(実家)に復籍または再婚したときは、その母は前婚中に出生した子の親権者になりえない。」旨規定(なお同法第七八七条によると、妻と夫の血族でないその直系卑属は、離婚によりその親家に復籍することになる。)されているから、離婚後の未成年の子に対する親権者は夫たる父であつて妻たる母は親権者になりえない。本件においても原告は同法の下においては三児の親権者たりえないものといわねばならない。しかしながら、右規定は朝鮮における特殊な家父長的家族制度を前提とする規定であつて、家族生活における個人の尊厳と両性の平等とを基調とし、家の制度を廃止し、家族生活における妻の従属性を否定した我が民法の精神に適合しないことは明らかである。のみならず前示認定のように、原被告が昭和二八年三月一〇日頃離婚の合意をなし、併せて原被告間の三児の養育は将来原告においてなすべきことの協議が成立し、引続き原告自らこれを養育しており、しかも夫たる被告の生死は現在不明であるから、かかる場合になお前記法条を適用せんか殆んど実情を無視するに等しく、我が国が維持せんとする私法的社会秩序の混乱を招来する結果となる。とすれば本件の如き場合は、法例第三〇条の留保条款の趣旨に則り、大韓民国民法は適用を排除されるべきである。そこで我が民法に基づき前示認定における諸般の事情を参酌すると、原被告間の次男立雨(昭和二三年一月二〇日生)および三男広(昭和二八年五月二五日生)の親権者は原告と指定するのが相当である。

よつて原告の本訴請求を認容し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用し、主文のとおり判決する。

(裁判官 諸富吉嗣)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例